1Q84の裏切り
村上春樹を読むのはこれが初めてだった。
BOOK1を読んで抱いた感想は、意外と面白い、だった。
周りのタレコミから、村上春樹の小説はもっと官能的なものだと思っていたが、性描写自体はきわめて簡潔に書かれており、抵抗はなかった。
それどころか主人公らが性欲を満たすためのセックスを、特に罪悪感も感じずに、生の営みの一部として淡々とおこなう様は、非常に小気味が良かった。
愛とか恋とか道徳とか倫理とか、そのようなものに縛られない、無駄のない交尾ともいえそうなセックスが、この小説の魅力だと思った。
だから、天吾と青豆の物語が平行に進んでいるうちはなかなかに楽しめたのだ。
大層な世界観に感動を覚えさえした。
二人の共通点が物語中で明かされれば、文字通り心が痙攣した。
しかし、後半以降、青豆と天吾の物語が平行を脱し互いに接近を始めると、途端にページを繰ることが非常に億劫になっていった。
青豆が孤独な殺し屋であることを放棄し、ただの恋する乙女に成り下がったことに怒りを覚えた。
天吾がふかえりという少女の存在を無視し、不自然なまでに青豆を求める描写に吐き気がした。
平行であったからこそ、美しく均衡を保っていた世界がガラガラと崩れ、中から出てきたのはあまりにも平凡な、ある意味で現実的な、つまらない恋愛小説だった。
あまりにもひどい裏切りである。
物語を物語として綺麗に終わらせるには青豆は死ぬべきだったのだ。天吾と青豆は交わってはならなかったのだ。
しかし、村上春樹は非情にも1Q84年という美しい平行の世界から現実世界に帰還することを天吾と青豆だけでなく、読者に対しても求めた。
物語に非日常を期待して読む読者に対して、彼はあまりにも残酷ではないか。
裏切られた相手を許すには時間がかかる。あるいは、一生かかっても許せないかもしれない。
当分、もしかしたら二度と「1Q84」を読むことはないだろう。