デジタル化の波の中で
昨日、六本木で開催されている『少年ジャンプ展vol.1』に行った。
今回の展示では、創刊から1980年代までの代表的な作品が取り上げられている。
95年生まれの私にとって、80年代までの漫画はアニメの再放送でチョロっと触れた程度であり、正直なところあまり馴染みの深い作品群ではなかった。
しかし大学生になってアニメから入り、ハマってしまった『ストップ!ひばりくん』の原画が見れるという情報を知り、居ても立っても居られなくなって公開初日から一人場違いな格好で、ノコノコと六本木に足を運んでしまったのである。
2000円払って高速エレベーターに乗り、森アーツセンターギャラリー52階に到着すると、当然ではあるがそこには少年ジャンプの世界が広がっていた。
簡単な作品紹介のパネルとともに、当時の原稿が当時のままの状態で展示されている。
どの作品の原稿も一枚一枚、精細なペン入れが施され、カラーイラストにはさらに丁寧に色が塗られていた。
生の漫画の原稿をまじまじと見たことなどなかった私は思わず釘付けになった。
紙やインクの質感からは、それぞれの作者の個性が滲み出ていた。
枠外にある鉛筆でのネームの下書きや、ホワイトで修正した痕跡もまた一興であった。
やはり「ホンモノ」には「複製」にはない価値がある。
今回の展示を見に行って、強くそう感じた。
漫画の原画には、少年誌や単行本でそのページを「読む」だけでは感じ難い魅力がある。パワーがある。作者の息遣いが垣間見える。
私が今回の企画展で払った2000円は世界に一枚しかない、作者の手がかかっている「原画」を、ほんの少しの間でも感じるための対価だったのだ。
それは、ルーブル美術館からやってきたホンモノの『モナ・リザ』をわざわざ見に行くのと同じ事なのである。
世界に一枚しかない原稿。
そこには作者の筆圧が、息遣いが、生の感触が存在する。
これは、紙だからこそできる技なのではないかと思う。
どの分野でもデジタル化の進む今日の社会。
出版業界も例に違わず、どこもかしこもデジタルデジタルと口を揃えて声高に主張する時代である(ように会社説明会や選考に参加して感じた)。
無論、これは制作の方ではなく、消費形態においてのことではあるが、おそらく制作側においてもデジタル化は着実に進行しているだろう。
しかし、手書きの原画が持つ魅力は、デジタルの原稿をいくら上質な紙とインクを使用して「プリントアウト」しても表現不可能であるように思う。
キーボードで「コントロール+ゼット」を同時に押せば一つ前の作業はなかったことにできるデジタルは、修正液を何度も塗り重ねるアナログよりも遥かに手軽で効率的である。
しかし、エアコンの効いた涼しい部屋でパソコンに向かってスマートに作業したところで、果たして80年代に人気を博した骨太な「スポ根漫画」は生まれるだろうか。
あの今にも汗の匂いが漂ってきそうな暑苦しい絵柄は、デジタルでは生まれ得ないのではないか。
流行らないから描かないのではなく、最早描くことが不可能なものとなっているのではないか。
あまりにも丁寧で、個性豊かな原画たちを目の当たりにして、心には上記のような思いが浮かんできた。
社会はデジタル化が進行し、益々賢く、スマートになってきている。それは大変素晴らしいことである。
デジタル化が悪いとは決して言わない、しかし、アナログな手法には、デジタルでは代替不可能な価値が確かにあるのだ。